初めての虐待【秋澤優】

初めての虐待【秋澤優】
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今回は、僕が一番初めに受けた虐待についてお話しします。

そもそも、虐待とは何でしょうか。僕もずっとよく分からぬまま、大人になろうとしています。

でも、あの苦しんだ日々はきっと虐待に因るものであると思っています。

僕が6歳になったばかりの頃ーまだ、小学校に上がる前のことでした。

母が薬を大量服薬し、自殺を図りました。

…すみません、今は母だとは思っていないので、苗字のイニシャルをとって、Sとさせていただきますね。S=母だと思っていただけると助かります。

僕の6歳の誕生日から1ヶ月ほど過ぎたある日の朝、Sは言いました。「今日は私が保育園に迎えに行くよ。」と。当時、まだ虐待はされていなかったのでSが迎えに来てくれることがとても楽しみでした。Sは普段、境界性パーソナリティ障害(BPD、以前は境界性人格障害と言われていました)のせいもあってか、あまり身体を動かすことが出来ず、保育園に迎えに来るというのはとても珍しいことでした。この時のSの心境はあれから12年経った今でも分かりません。

あの日はとにかく、Sが保育園に迎えに来てくれるということで嬉しくてたまらなくて一日中頭がそのことでいっぱいでした。

 

でも夕方になって、夜になって、他の園児がみんな帰ってしまっても、Sは迎えに来ませんでした。

不安に押し潰されそうになった頃、ようやく父が迎えに来てくれました。父は車の中では終始無言でした。

 

そして、当時住んでいたアパートに帰り、僕は何も知らずに無邪気に「ただいまー!」と言いました。けれど、いつもならあるはずの「おかえり」の声はありませんでした。

 

リビングに行くと、絨毯の上にSが倒れていました。周りには薬のからが沢山転がっていました。後から知りましたが、この時Sは睡眠薬を大量服薬し、死のうとしたそうです。

そして、救急車がアパートに来て、僕と父もSに同伴しました。この時点では、家族でしたから。因みに救急車のサイレンの音、赤いランプは今でも怖いです。

その日の夜は、父はSに付き添い、病院に泊まりました。僕は知人の家に預けられました。

次の日の夜、父が迎えに来ました。その時も父は終始無言で、僕がいくら「ママは?ママは?」と言っても、答えてはくれませんでした。

そして、近所のスーパーに着いた時。駐車場に車を停め、父はようやく口を開き、こう言いました。「パパとママは離婚した。ママとは一生会えない。」と。あの瞬間の悲しみはずっと忘れられません。

 

こうして、僕の家族はバラバラになりました。

 

それからの日々の記憶は正直言ってあまりありません。僕が当時大切にしていたらしい長い髪を自分で切ってしまった(入学式の写真を見ると確かに髪の毛がバサバサです)とか、おねしょを頻繁にするようになったとか、そういった話は聞いています。

ただ、僕が「ママー!ママー!」「ママに会いたい!」と泣き叫ぶ度に父に、「うるさい!黙れ!」「泣くんじゃない!」と大声で怒鳴り散らされたことがとても怖かったことは覚えています。その時の父の怒鳴り声、顔の歪みも…。

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父は決して殴ることはしませんでした。だから、身体に青あざが出来るということもありませんでした。でも、父はまだ幼く、力もない6歳になったばかりの子どもを、言葉によって殴りました。僕の心には今尚消えぬ青あざが無数に残っています。

 

僕は今でも、「怒る」という感情がとても怖くてたまりません。大きな音がとても怖くてたまりません。

 

こうして文字に起こして初めて気が付いたのですが、きっと、そういったものが怖くなってしまった一番最初の原因は、父から怒鳴られた日々だったのだと思います。

 

後々語りますが、他にも「怒る」という感情、大きな音が怖くなった原因は山ほどあります。

 

今回は、ここまでとさせていただきます。

この記事の投稿者

秋澤優
秋澤優ライター
6歳~ 両親/親戚/指導員/教員等から心理的虐待/性的虐待/身体的虐待を受けてきました。

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