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発達障害の僕が死のうと思ったのは (1)【裕雅】

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こんにちは、裕雅です。

前回からだいぶ時間が空いてしまいました。

自分の中で感情が渦巻き、溢れ出すような状況で、症状もしんどかったんですが… 最近やっと落ち着いてきました。

まだ振れ幅はありますが、なんとか日中体を起こしていられるくらいになりました。

学校は…無理やり保健室登校をさせてもらっていましたが、無理がたたって学校でひどいフラッシュバックを起こしてしまい、現在休学中です。

さて。

今回は、自分がなぜ精神を病んでしまったのか、それについて話そうと思います。

すべての原因は恐らく、自分の性格と周りからの嘲笑です。
というのも、私が発達障害だからだと思っています。
つまり私の性格が災いしているということ。現在、
〇うつ
〇不安障害(今は完治に近い)
〇パニック障害
を抱えている。私は、精神を病んだのはほぼ自分のせいだと思っています。
自分で自分を追い詰めて、責めてしまったから。度が過ぎましたね。
1.いじめっ子に「勝たなければいけない」という強迫観念

2.嘲笑

3.精神的ショック

4.社会生活のストレス

5.妹からの嫌がらせ

たぶんこの5つ。
1から説明します。
今回は1までかな。
私は、小学1年から4年生までと、中学2年生の1年間、同級生からいじめを受けていました。

高校ではいじめられてはいないですけど、クスクス笑われることばかりでした。
後述しますが、私はある時点でいじめっ子に復讐を決意しました。
別に返り討ちに行くわけではなく、あいつらが歯ぎしりして悔しがるような―あいつらよりも幸せな人生を送ってやろうと決めたんです。
私は考えました。
当然、私はあいつらよりも勝っていなきゃいけない、と。
過去のいじめっ子たちに負けまいと努力して、あいつらに勝てるかということが、一つの判定材料でした。
もうずいぶん前から、あいつらに一つでも敵わないものがあればその時点で、私は私を生きる価値がないものとみなして追い詰めていたような気がします。。
…なんかもう自分が怖かったんです。自分に責められるのに自分でびくびくする、矛盾した感覚。
ひとから責められるより余程辛辣で、たまに泣きながら自身を罵倒していたり。反省リストカットと呼んでいた、自分が情けない時には決まって上腕の、袖に隠れるところを切っていました。
障害を持つ以上、出来ないことも人より多い。私はそのことも酷く悔しかったんです。
中学生の時に、メンタル系の薬を飲み始めました。もう、その時に思いましたね。「生まれてこない方が幸せだった」と。
中学を卒業し、何とか県で中の上レベルの高校に入学しました。
…入学式の日、教室に入った私は冗談抜きで血の気が引いて気持ち悪くなった。
小学時代のいじめっ子と傍観者がいたんです…。

二人とは後に和解しましたが、そいつらにも勝とうとして何かにつけ自分を容赦なく叱咤していました。とくに一人は部の同期となり、そいつより優位に立つことが私の目標でした。

私のプライドの全てをかけていたと言っても過言じゃありません。
先輩に用事を言いつけられるのでも、一年が受からなくて当たり前のオーディションでも、私はその子に勝てなければ、私の中でその結果は不合格でしたね。

…よく、教室でもその子の言葉尻にばかり心の内外でも抗弁していました。

今思えば傍迷惑でしかなかったのですが…当時の私には、彼女のどの発言も、私を貶めようという悪意のあるものに聞こえて仕方ありませんでした…。

そして、高校入ってもほかのいじめっ子との繋がりが断ち切れるわけはなく、

同じ学校だった人が、小中合わせて10名近くいて。
LINEやtwitter で見かけるいじめっ子たちより幸せに生きることが私のやるべきことだと、さきほど書いた通り思ったんです。

ちょっとでも失敗をすれば、あいつらに伝わってしまう、また笑われてしまう、…私はもう、強迫観念に虐げられていました。その時点で気づけば良かった。
人一倍練習を頑張り一年の春から大会に出してもらえた、

得意教科は一位になれるよう時間をやりくりして勉強した。

人間関係では、皆からしょうがないなーと言われるようなお茶目なキャラクターを目指した。

生徒会に入り、様々な仕事を引き受けて役に立とうとした。

どれもこれも、中学では出来なかったことばかり。

楽しいより、人の役に立っている、だから私は生きててもいい人間だ、と思えて、そのことに安堵して、でもミスがあれば死ねばいいと思って…
…もう全てが、見栄のためでした。

その内には、本当にやりたくてやっていたこともあったのに、
けど、見返す、という目的意識のためにやっているということが心底嫌になって、やる気も失せる始末でした。
…当然、そんな生活を切り回すことは長く続きませんでした。なぜなら秋口に、心も体もバランスを崩してしまったからです。

小学時代のいじめは、四年生まで続きました。
殴られたり蹴られたりは日常茶飯事、持ち物を隠されたり、変なことを強要されたり…いじめと呼ばれる全ての行為を受けたような気がします。

他にも体を触られたり、スカートを脱がされたりとまぁえげつないこともされました。

もちろん「死ね」「消えろ」と言われない日はなかったし、体操とか給食のペアも入れてもらえなかった。

それが小学四年まで、学校のある日は毎日続いた。

低学年のうちはまだ嫌がらせ程度だったのに、学年が上がるにつれて手酷くなっていきました。

なんていうか、知恵が働くようになるんですよね。
どうしたら『ゲーム』が面白くなるか、どうしたら私に少ない攻撃で多大なダメージを与えられるか。

それを試すのが面白かったんだと思います。

でもだんだん、生死に関わりそうなことをされるようになってきました。

階段の途中で突き飛ばされたり、給食に糊とか入れられたり、お腹とか頭とかばかり集中的に蹴られたり。

酷い時、学級活動の時間だったと思いますが、
屋上に出て遊んでいたとき、いじめっ子にフェンスに追い詰められて「飛び降りれば?」と言われた。
さすがに「何でだよ」と返した記憶があります…

そしたらいきなり体をフェンスに押し付けられて足を持ち上げられた。

先生が気づいてくれてほんと助かったけど、あの時は本当に、殺されると思いましたね…

…ちなみにフラッシュバックでもこの映像をよく見ます。

幸いなことに五年生に上がったら、親友と呼べる友達が出来ていじめは急速になくなっていきました。

その人たちとは今でも仲良くしています。私の障害や特性を理解した上で話をしてくれますし、疾患のことも話してあります。

…まぁ、いじめっ子とすれ違いざまに蹴られたり暴言吐かれたりはしたけど…それはご愛嬌みたいなものでした。

中学は、いじめっ子とこれ以上関わりたくない一心で、離れた地区の中学に通うことにしました。

親戚や塾友達がいて孤立しないで済みました。一年のうちはとても楽しかったです。

ただ、この頃から人との距離の取り方がおかしいことに気づきました。

気づけば相当数の人に「うざい」と思われていました。

とうとういじめられ出したのは、二年生の一年間だった。

小学時代と違ったのは、「わからないようにやられる」こと。目立たないところを蹴られたり、すれ違いざまに足を引っかけたり。

物を隠されても、先生に密告しに行っている間に元の場所に置いてあったり。

…傷つきはしたけど、カーッと来る怒りを抑える方が大変でした。

そのうち、私はほかのクラスメイトにも相手にされることが少なくなりました。(一部を除いて)
空気読めなくてマジなこと言っちゃったり癇癪起こしたり、でもそれを自分ではわかっていなくて、なぜハブられるんだろ?と頭の中が「?」マークでいっぱいでした。

部でも後輩に嫌がらせを受けました。
私には体力がない。・・・と言っても持病とかじゃなく、発達障害の特性の1種みたいなものです。
でもそれを克服したい一心で、運動部に入部しました。

下手くそでしたけど、先輩が人格者で、あきれながらも丁寧に教えてくださったし、私自身も結構捨て身で努力していました。

本当に、体力的には辛かったけど充実した日々でした。
ま怪我で途中からマネージャーになっりましたが、部の雑用は何でもやったし、私自身も楽しんでやれていました。

しかし、2年生のときに一つ上の先輩方が引退されてから状況が変わりました。

たぶん、存在がむかつく私が悪かったのだと思います。加えて、よく通院で参加が不定期になったりということにも苛立ちが募っていたんだとも思います。

蹴られたり、体力がないのを知っていて、ずっと倒れるまで走らされたり、暴言も吐かれたし、ロッカーには中傷のイラストやゴミが入っていました。

想像してみてください。
後輩たちが、「死んでくれないですか?ほんと迷惑」とか「生きてる価値ないよねー・・・え、まだ生きてんの?」とか言ったり、無視してきたり暴力を振るってきたり。

いじめを受けたのは服薬治療を始めた後だったので、これは相当こたえました。
自主的に部活に行かなくなるまで、それは続きました。確か3年生になるころにはもう行ってなかったはずです。

親友だと思っていた人も、加勢はしませんでしたが、止めてはくれませんでした。

それから現在に至るまでは、何もいじめはされていません。

ここで一つ話しますね。

私は、小学校と中学校の途中まで、自分のされた行為がいじめだとは気づきませんでした。
したがって、傷ついてもいませんでした。

ただ、ちょっとうざったいなぁ・・・程度。
何で、自分がいじめられるのかわからず、むしろそんな非生産的なことをする奴らのことを内心では見下していました。
人のことをどんなに嫌いでも、傷つけていい理由はない。そんなこともわからないほど馬鹿なのかこいつら?って。

さすがに文房具とか隠されるのは困りましたが。

だから、学外友達に話して「それいじめじゃないの!?」って驚かれたときは逆にこちらが驚いたぐらいです。
・・・馬鹿ですよね。

だから、とうとう親が気づいたときにも「これはいじめじゃないよ~大げさだなぁ」って言っていました。

紛れもない、当時の私の本心でした。

なんていえばいいんでしょうか。

自分が思ってることは他人も思ってるって、あの頃の私は無意識に思ってたんです。

「私は人を傷つけるのが嫌い。馬鹿馬鹿しい。そんなの愚の骨頂。みんなも同じこと思ってるはず」
だから、いじめなんて皆するわけない、と。
ただ、人を困らせて面白がってるだけではないか。と。

心にあるはずの意識がすっぽ抜けてたんですね・・

少し前、鬱になるまでは、全くもって小学生時代のいじめの内容を忘れていました。
(ちなみに何故思い出したのかはまた別の回で)

中学二年生、そう、ちょうどいじめられていたときにお医者さんが服薬治療を進めて来ました。
最初はストラテラ、慣れてきたらコンサータを服用していました。
効果は抜群でした。あらゆる忘れ物をしなくなりましたし。

ただ、もともと興味のあることには人の倍の記憶力があるので、さらに薬の効果もあいまって、いやな記憶もしっかり蓄積されるようになりました。

急に強いストレスに晒されるようになり、感情のコントロールが聞かない日もありました。それでトラブルを起こした日もあります。

薬は本来ADHDに処方されるもの、つまりは不注意を治すための効能。

他にも、集中力を高めたり空気を読んだりする効果もあるんです。

そうなりゃ当然、見たくもない現実を見る羽目に陥ったわけです。
今まで気づかなかった悪口、や介しようもなかった自分に向けられた皮肉の数々、到底自分に出来っこなさそうな世間の暗黙の了解。

なんだかもう・・・この世のすべてに愕然としましたね。
今まで綺麗な面しか見て来れなかったから、世界も、人も、自分にも、特に自分に絶望しました。

自分なんて所詮こんなもん、と思って生きてきていたから、良くも悪くも自分に出来ないことが多すぎることに気づけなくって。
今までより落ち込むことが増えましたね。

さらに運悪いことに、物心ついてから憂鬱な気質で哲学を餌にして生きてきていたようなものだったので、

坂を転がり落ちるように自己嫌悪、希死念慮に度々襲われるようになりました。

中学のときはさほどでもなかったんですが、高校に入ってからは環境が環境、自分も自分でさらに自分を追い詰めていってしまいました。

次回は2と3についてお話します。

長々と、こんな文章を読んでいただいてありがとうございました。

この記事の投稿者

裕雅
現在、うつ病/PTSD/不安障害に伴う解離など。高校2年生です。ASD、DCD(診断済み)、ADHD(傾向)
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