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性的虐待 私の場合 4【川崎遥】

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※この文章には性的虐待についての表記があり、フラッシュバックを起こす可能性がございます。くれぐれも読めない時は無理をして読むことを避けてください。フラッシュバックが起こった場合はただちに読むのをやめて頓服を飲むか安心できる人、もの、場所に頼ってください。

4,それから、家を出るまでのこと1/2

まさに人生の暗黒時代。記録などほぼ残っていないため、簡潔にしか書けませんが、それから今までのこと。
濃厚な性的接触が終わったあとのこと
濃厚な性的接触が終わったあとも、軽度のものは続いていました。
わいせつな言葉で私の身体的特徴をあげつらう、ふざけて後ろから私の両胸を掴み揉む、ふざけて後ろから私の性器を掴み揉む、性器を露出する、性器を私の頭に乗せる、など。
私は嫌だと散々に訴えましたが、母は笑いながらKに注意をするのみ。Kはやめようとはしませんでした。真剣にとられないまま、高校二年生までの数年間、それは続きました。
性的虐待という概念との出会い
前から虐待という存在は知っていましたが、知っていたのは身体的虐待やネグレクトのみ。
しかし、当時の私はなんとなく、「これはいわゆる虐待とか性犯罪の類のものではないのか」と思い始めていました。
しかし、調べ方もわからなかった私は、とりあえず問題を棚に上げておきました。
そんなある日、たぶんどこかで「性的虐待」という言葉を聞いたのだと思います。
チャイルドラインのカードとか、その辺りではないでしょうか。

水を得た魚とはこういうことを言うのでしょうね。
その概念を知った瞬間に、私の止まっていた思考が動き出しました。私の受けていたものは、性的虐待だった。そして、今もきっとそうだ。うっすらとそう思い始め、家を出ることを考え出しました。

学校に、通えない
高校に入ってからの私は、糸が切れたように、何もできなくなっていました。本格的な自殺願望は、恐らくこの頃から出ていました。
理由もないのに学校がどうしても嫌になり、そのうち恐怖まで感じ始め、通学を拒否するようになり、心療内科に通い始めました。

中学卒業まで、「学校へ行きたくない、行けない」という気持ちと無縁だった私は、高校に入学した数週間後くらいから学校というものが嫌で嫌でたまらなくなりました。今までの多くのできごとが、私から力を奪い、エネルギーの消費量が激しい学校を拒絶し始めたのです。
しかし、とても幸いなことに、通っている学校の先生や友達は本当に素敵な方、理解がある方、理解しようとする方が殆どで、とても居心地が良い場所でした。ゆっくりと、学校にいる人たちを信頼していきました。
一年生の頃は、どうしようもなく嫌だった学校は、あるきっかけから私の居場所になりました。

この記事の投稿者

川崎遥
川崎遥ライター
中学一年生から高校二年生にかけて母親の交際相手に性的な虐待を受けてきた現在18歳
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