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性的虐待 私の場合 3【川崎遥】

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※この文章には性的虐待についての表記があり、フラッシュバックを起こす可能性がございます。くれぐれも、読めない時は無理をして読むことを避けてください。フラッシュバックが起こった場合はただちに読むのをやめて頓服を飲むか安心できる人、もの、場所に頼ってください。

3,中学一年生のころのこと(2/2)
母の否認とセカンドレイプ
帰ったら家の中の雰囲気が異様でした。

「遥、ちょっと来て」

泣きすぎで顔がぐちゃぐちゃになった母に呼ばれました。弟は別室に移され、母とKと私で話し合いが持たれました。
そのことは、曖昧で、よく覚えていません。母が泣きながら、私を責め立てていました。
印象に残った母の言葉は、「女の子なんだからもっと自分の体を大事にしなさい」「中学生になったら男の人が危険だなんてわかりきったことでしょう」でした。
Kは自己弁護に徹し、「遥が俺の手を掴んで胸に当てた」と言っていました。
私は、反論できませんでした。その言葉を、飲み込むしかありませんでした。
全く持ってその通りであったため、反論の余地もない、と思ったからです。
よく考えたら、私よりもっとずっとえげつないのは母とKの方であったのに。

こどもは自分の価値を知りません。故に、衝動的に自暴自棄になる。そして、自らを貶める行為や一生残ってしまうような傷を作ることまでもをしてしまう。母はそれを知っているべきでした。そして責めるべきではなかった。それも大人二人で、ひとりは加害者という立場であるという状態で。

こどもは大人が思うより脆い生き物です。危うい生き物です。自我がうまく形成されていないからです。そして、ひとりで生きていけるほどの権限を法律で与えられていない。未発達の生き物なのです。だから、守られるべきだった。

性的虐待に限らず、虐待などは初期対応が大事だと思われますが、私の場合はその初期対応からずっこけていたのでした。結果、のちのち拗れていくことになりますが、その辺はあとで書きますね。

それから、日常的に重度の虐待が始まった
母に守ってもらえずに、大人二人から責められた私は、もはや自分というものを全く大切にすることができなくなっていました。

私は積極的にKに関わっていきました。Kの性的な行為を受け入れるどころか、積極的に誘発させました。
Kは誘惑に弱い人間でしたから、それはとても容易なことでした。
幸いにも性交自体はすることはなかったのですが、それ以外はしました。
拒否したらこの人はやめるだろうとわかっていました。射精の手伝いをさせられたことも一度ありました。真っ昼間に車の中で、助手席に座っていたら手が胸に伸びてきたこともあります。屈辱的でした。

最後は私が拒否して終わりました。
母、弟、私、Kが集合したこたつの中でちょっかいを出されているとき、「そんなに動いたら母ちゃんにバレるぞ」と言われて、初めて自分がとても気持ち悪いものに思え、これ以上自分を傷つけてはならないと感じたからです。

なぜそう思ったのか、思いとどまれたのか、の推測ですが、当時の私は喜んだふりをしながらも心の底で嫌だと感じていたのでしょう。やめるきっかけを探していた。そして、きっかけができた瞬間にやめる決意をできた。それは、私の選択の中で最良のものであったと信じています。

約半年ほど。
濃厚な性的接触があった期間です。

この記事の投稿者

川崎遥
川崎遥ライター
中学一年生から高校二年生にかけて母親の交際相手に性的な虐待を受けてきた現在18歳
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