性的虐待 私の場合 2【川崎遥】

性的虐待 私の場合 2【川崎遥】
スポンサーリンク

※この文章には性的虐待についての表記があり、フラッシュバックを起こす可能性がございます。くれぐれも読めない時は無理をして読むことを避けてください。フラッシュバックが起こった場合はただちに読むのをやめて頓服を飲むか安心できる人、もの、場所に頼ってください。尚、これはあくまで個人の主観による体験談ですので、これが絶対に正しいというわけではありません。

 中学一年生のころのこと(1/2)

私の家族のこと

小学校五年生の11月くらいに両親が離婚し、私と弟は母に引き取られ、兄は父に引き取られました。

両親が離婚し半年くらいしたら、いつの間にやら母親に交際相手ができて週末通い夫状態で週末に家でくつろぎ始めていました。これが前提です。今回の登場人物はその母と交際相手、弟、私、父が主です。

加害者のこと

中学一年生のころには母の交際相手(母の交際相手なんて長ったらしいので、Kとしますね)が家に入り込んで我が物顔で父親づらをしていました。
当時のKの印象としては、明るく口数が多く、コミュニケーション手段が未熟なのか、性的な方の下ネタをよく使う印象でした。あと、説教が自分語りになってうるさくて長かった・・・。

一回目の虐待のこと

初めて行われたのは恐らく中学一年生のころでした。恐らく、というのは、記憶が曖昧で、後から関係者に補完されたものから情報を出すしかなくなってしまったため、正確な年数がわからないからです。

恐らく中学一年生の夏も終わり頃、母がエステに出かけているときに私はKに性的虐待を受けました。
Kと私は趣味が共通であったため、友人のような関係を築けていると当時の私は思っていました。母の交際相手だった、ということに関しては、まあ母も人間であるので仕方がないかな、と。
子供っぽい性格だった私はいつものように、Kにじゃれて遊んでいました。
急に、Kは私の胸を掴んで愛撫を始め、私は戸惑って固まりました。そのまますこし考えて状況を理解した私は、それを許容しました。当時、私生活でたくさんのことが同時に起こって、ヤケになって自分を大切にすることができなかったからかもしれません。

「後で私はきっと死ぬほど後悔する。きっと死ぬまで忘れないし、トラウマにもなるだろう。」そういう確信がありながら、私は積極的にそれを受け入れました。逆さまになった視界、ガラス窓の外で隣のアパートに住んでいる家族だったか、兄弟だったか、楽しそうに笑って出かけていく様子がなぜだか目に焼き付いています。

その行為が終わったあと、私は「これはママに言う」と言いました。混乱の中でも、これは重大事だと分かっていたのでしょうね。
Kは焦りました。「これをお前のおかあちゃんに言ったらおかあちゃん悲しむぞ」と、私を脅しました。
あとから思えば、典型的ですが非常に有効な口封じです。これにやられている人は、私のほかにもかなりの人数がいらっしゃるのではないでしょうか。
私は黙り込むしかありませんでした。

スポンサーリンク

私は黙って自室に戻り、目の前にあったハサミで初めて自傷というものをしました。
幸いハサミの切れ味は悪く、血はほとんど出ませんでした。
そして立ち上がると、母の実家に帰った際のお土産があったので、それを友人に届けに行きました。
今思えば、非日常的なできごとから、日常生活に戻ろうとしたのでしょうね。なかったことにしたら、そうなると思ったのかもしれません。

友達の家でひとしきり遊んだ後、家に帰りました。そろそろ、エステに出かけた母が帰っているかしら、なんて思いながら。

この記事の投稿者

川崎遥
川崎遥ライター
中学一年生から高校二年生にかけて母親の交際相手に性的な虐待を受けてきた現在18歳
スポンサーリンク

全ての記事カテゴリの最新記事